冬亭夢裏の閑居宮

世界征服の道、いまだ半ば

2003年11月9日 ツール・ド・沖縄市民80キロ

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10年前の11月。ツール・ド・沖縄80キロに参加した。
その時の記録を掘り出したので、なくさないようにアップ。ちなみにバリバリの2chネラーだったころなので、アップ先はもちろん2ch。




11/9 5時半起床。コテージから出てみると雨。それも結構ふっている。
一度雨の予報が消えていただけにショックは大きい。
同室の連中と食事に行き、慌ただしく準備をすませて80キロスタート地点行きのシャトルバスに乗り込む。バスの中はレース前の高揚感よりも陰鬱な空気が勝ちぎみ。たまにはなすことといっても天気のことばかり。

スタート地点の漁港に到着。同じバスに乗っていた2chジャージに声をかけるとカナサイだった。すぐにhampも合流し、自分が雨男であることをご開帳。お前には回りの視線がわからんのかと小一時間…。

ときおり雨は小振りになるものの、小振りになった時間以上に激しく降る時間が長い。そんななか、アップする人もいれば、宿から自走で来る人もいる。アップすらしたくない気分だったけれど、スタート地点から1キロ足らずのところにある工事箇所とトンネルが気になったので、カナサイと一緒にアップがてら走って下見に行く、振り返ればこれがラッキーだった。

9時30分ごろから整列。ゼッケン順の整列という建前だったけれど、実際には早いもんがちの整列。前に行ったほうが楽だとは思ったけれど、さっきの下見、トンネルでUターンする時に後輪が激しくすべったのと、シケイン状の工事箇所をとおることで嫌な予感がしたので、最後尾から5メートルくらいのところにならぶ。
国際200km、ジュニア120kmの通過後、10時ちょうどにスタート。整列エリアが1車線分に規制されていたので、スタートと同時に道路幅一杯に広がり加速して行くが、漏れは後方だったのでのんびりとスタート。工事現場はみんな無事にクリアしたものの、1本目のトンネル入ってすぐのところで国際レースの選手が落車して、その先に車が止まっていたため車列が乱れたのか、気を取られたのか、大きな落車が発生、トンネル内に鈍い音が響き、薄暗さとあわせてどんどん人が突っ込んで行く。大声で後続に「落車!」と叫びながら減速して、道路脇を通過、2本目のトンネルまではゆっくりと行く。スタートから僅か1キロ。この時点で先頭集団から200mほど離されてしまっていた。

こんなところで先頭から引き離されたら足切りは確実。漏れの頭の中をDNFの3文字がよぎる。とはいっても40キロ以上で突っ走って行く集団を単独で追えるわけがない。まわりをみると後ろから3両編成の列車がいいペースで上がってきたのでこれにのせてもらう。しばらく様子を見たものの、コスミックカーボンをはいた一人が引きまくっているだけでほかの二人は引く様子もないので、漏れも先頭に上がり交代で先頭集団を追走。なんとか普久川へののぼりの手前で先頭集団に追いたが、その時には他の二人は千切れていた。漏れは登りまでは休むつもりだったが、同行者はさらに前に上がって行くようだったので、「お疲れさま」と声をかけると「こんなところでちぎれたら楽しくないっすからね」と返事をしてくれた。思いは一緒だ。声には出さなかったけど、お互い頑張ろうぜ。
たいして回復することもできないまま、普久川ののぼりに突入。

普久川の登り。シャカリキのおかげでとんでもない登りに思えるけど、斜度自体は大したことはないのは昨日の下見で確認済み。しかし、ここで引き離されるわけにはいかないし、ここで足を使いすぎると源河への山越えで脚が残らないので、どのくらい頑張るかのジレンマがあるとその時には思っていた。
だがしかし、実際に走っているとそんな考えは頭のどこにもなかった。前にみえる一人一人を目標にして、ただひたすらにクランクを回す。しかし、登りはじめてから3キロくらいの地点で120キロの先頭集団が通過。明らかに漏れとはスピードが違う。このとき、頭の中に再びDNFの3文字がよぎった。
登りはじめから4キロ。上り調子なのはここまで、ここから最高点まではアップダウンの連続。続々と上がってくる120キロの選手の列車に乗っていいペースで、アップダウンをこなして行くが、しばらく下りが続いたあとの短い登りでダンシングをいれた途端、タイヤが踊る!。幸いリカバリーは出来たが、一体なんだったのかがわからず、以降、ダンシングをいれるのに躊躇してしまう。普久川関門を通過後、完全な下りになると集団がビビリ度合で分散する。漏れはダウンヒルポジションを取り、細心の注意を払いながら、一気に安波まで下る。沖縄での最高速度68.0km/hは多分このときだろう。

安波におりると1キロほどの平地がある。集落の人たちが応援してくれてるけど、あと50キロの看板を過ぎて、学校のカーブを曲がって応援の人たちの代わりに現れるのはまっすぐのびる坂だ。ここまでわずか30キロしか走ってないにもかかわらず、すでに漏れの両ふくらはぎにはやばい前兆が来ている。多少なりとも回復させるため、フロントをインナーに落とし、リアは27tにする。レース前には27t使ったら負けと言ってたが、負けてもいい、漏れは走り切りたいんだ。
2キロ足らず、140mあがる坂を上りきると、しばらくは台地上の土地を抜けるアップダウンのある道。雨は激しくなっている。宿で同室だった沖縄14回出場のおっちゃんの「南海岸では単独で走るな、待ってでも集団で走れ」って言葉を思い出し、しばらくしてからやってきた120キロの選手を中心とする10台あまりの集団に乗る。
集団は40キロ前後で走り、単独走行の選手を吸収しながら走っていくが、吸収した数と変わらない数がちぎれていくので集団の大きさは変わらない。漏れも途中の登りでおくれ、間に一人おいて100m程度離されてしまった。正直、このときに終わったか…と思ったが、ラッキーにも下り主体のコースに入ったので3、4キロかけて徐々に追走して集団に合流。間にいた一人も無事に合流したので、「やっと追いつきましたよ」と話しかけると、「でも、もうちぎれそう」と辛そうな声で返してくれた。

高江関門を集団で無事通過。
道路脇の道路規制の看板を見ると、規制時間の残りは少ない。はたして、自分達がどのくらいのポジションにいるのか、200キロの先頭がどこまで迫っているのかがわからず、不安はつのる。緩やかな下りを集団のまま海岸線まで出るとちょっと先に10名程度の集団が見える。ずっと一緒に走っていたチバポンズの人と「あの集団と合流できると楽ですね」と話していたが、平良の手前で合流。総勢20名強の集団は海岸線でおやつタイム。漏れも最後の登りに備えてパワーゲルの残り2つを食べる。
伊是名で海岸線を離れて有銘まで、50mの登り二本に取り掛かる。自分に気合を入れるために登りに入った時に「登りだ!がんばろー」と声をかけたが、ギアを落として踏み込んだ途端に両足の大腿四頭筋が痙攣をはじめた。脚を回すたびに痛みが走る。なんとかこけない程度の速度で走り続け、太ももを叩いたり、クリートを外して大腿四頭筋を伸ばして回復をはかる。そんな漏れの状態がわかってかわからずか、沿道から応援の声がかかる。このとき、漏れはおりることを真剣に考えていたが、沿道の応援と地元で頑張ってといってくれた人の声は前に進めといっていた。理屈じゃなく、漏れはその声に応えたかった。なんとかごまかしながら一つめの登りを終えた時、前はもう見えなかったが、あせらず、下りでくるくる回しながら最低限、脚がまわるところまで回復させ、二つめの登りもクリア。次は有銘から源河までの最後の登りだ。

源河の登り、普段なら鼻息混じりでアウターで楽々登れる程度の登りだ。
しかし、今のもれには激坂以外の何者でもないようにみえる。だが、それは今まわりにいるものみな同じようだ。さっきの登りで見えなくなった集団もばらけてはいるが、すぐ前をあえぎながら登っている。苦しいのはみな同じなんだ。脚は回復はしたものの、クランクを回すたびに鈍い痛みが走り、さらに確実に迫っているはずの200キロトップの影を感じ、脅え、頻繁に後ろを振り返る。さっきまで一緒の集団にいた人が落ちて行くところを見て、一緒に行こうと思っても、もう声も出ない。
沿道の応援と迫る足切りの恐怖に押され、這うようなスピードで源河の登りをクリア、下りに入る。最後の平地に備えて、ギアはかけずに脚を回して、多少でも回復をはかりながら走る。下り切って、源河関門が見えた時、「やった、名護まで行ける」と漏れはつぶやいた。

源河から名護まで約10キロ。登りらしい登りはないはずだ。
うまく列車に乗ればとおもったが、すでに周辺はばらけてしまっているので、独走するしかない。幸いにも追風だが、35キロも出ない。そして、真喜屋でついに200キロの先頭に抜かれた。後でわかったが、シマノドリンキングの白石選手の単独逃げだったようだ。
仲尾次の橋を越えたあたりで120キロの2両編成の列車が来たので乗せてもらう。先頭交代にも加われたが、3キロほど先の植物公園の30mほどの登りがこなせず、「スイマセン先にいってください」といってわかれ、また単独走になる。
植物公園を越え、名護市街地にはいったところで120キロ4人、80キロ1人の集団と合流。ただ乗りさせてもらいゴールへ向かう。ゴール1キロ前から120キロのうち3人がやる気満々でスピードアップ。漏れも80キロの選手がもう一人いるのでその後ろについてスピードを上げたが、残り500m、スピードが40キロを越えたところで、足が止まり、さらに加速して行く列車について行けず。そのままスピードを維持してゴール。
タイムや順位よりも、ただただゴール出来た喜びで一杯だった。



記録はトップから16分遅れの47位/142人。ロードバイク乗り始めて2年目でした。